仕事をしていると、悲しいこと、辛いこと様々なことがあると思います。
今この記事を読んでいるあなたも現職や前職で少なからずそんな気持ちがあるのではないのでしょうか?
私もその内の一人です。過去勤めていた会社が原因で適応障害になってしまいました。
発覚した時はショックでしたが今は楽しく過ごせています。今の状態までに戻れた経緯をお話させて頂きます。
適応障害が発覚するまでに感じた異変
私が適応障害になった原因はタイトルにもありますが「仕事」です。
当時は色々な出来事により日々傷心したことがきっかけで適応障害と診断されました。
当時は頼れる人もおらず、誰にも相談できない環境でした。正直きつかったですね・・・
そのような状況が続くと以下の症状を発症しました。
異変①食欲がなくなる
月日が経過する度に食欲がなくなり、今まで普通に食べていたランチも半分くらいしか食べられませんでした。
好きなものさえ食べる気がなくなくなるのはショックでした。帰宅後も食欲は戻りませんでしたね。
異変②朝起きられない
とにかく朝が辛い!元々朝は弱いのですが、それとはまた別ものと言えばいいのでしょうか・・・・・
起きたくないというよりは起きることができないというニュアンスです。まるで体の起こし方を忘れてしまったかのような感覚でした。
異変③文字が読めない・簡単な算数も理解できなくなる
正直、異変②まではまだ序の口でした。私が異変として無視できなくなったのは異変③からでした。
社内でレクリエーションをやることになったのですが、その際のルールが記載されたファイルを何回読んでも文字は読めるのに内容が一切理解できませんでした。
簡単な足し算引き算も難しく、頭が回らず脳の機能がほとんど停止していました。
異変④何もやる気がでなくなる
思考回路が機能停止している時点で、何もできなくなりました。何もできなくなると気力も比例してなくなりました。
休職する直前の記憶とか全然ないですね(笑)文字通り会社に行って帰るだけです。
そのまま出社を繰り返すと次の異変が発症しました。
異変⑤急に訳もなく涙が出る
ある日、仕事終わりの帰り道に私の真下の地面に水滴が落ちてきました。
最初は「あれ?雨降ってきたのかな」と思い、傘を差してもまた水滴が真下に落ちました。
そこで初めて私は涙を流していたことに気が付きました。この異変が心療内科に行くきっかけになりました。
ここまで私が適応障害だと分かるまでの異変です。これらは人によって症状の種類や程度は様々です。
しかし、今あなたが上記の症状がいくつもある場合は注意が必要です。
病院に行くことは決して甘えではありません!!
初めての心療内科
そんなこんなで心と身体の様々な異常を感じた私は意を決して心療内科に行くことを決めました。
心療内科に行く前の私は、「本当に自分程度の悩みで病院に行って良いのか?お医者さんから、それは甘えですね」とか言われたらどうしよう・・とか本気で思ってました(笑)
しかし、そんな私の心配は杞憂に終わりました。来院し受付の方から待合室まで案内してもらった際にお茶菓子が置いてあり、
「○○のお土産のお菓子で美味しいんですよ。是非食べてくださいね。」と声をかけて頂きました。
久しぶりに人に優しくしてもらった影響なのか、その場で涙が溢れてしまいドバドバ流しながらお茶菓子を食べてました。
とても救われた気持ちになったのを今でも鮮明に覚えています。
診察の先生も話をしっかり聞いてくれる方だったので、自分の症状や気持ちを赤裸々にお伝えしました。
その結果、「適応障害」と判明し休職届に必要な書類を頂き初めての心療内科を終えました。
会社へ結果報告
診断書を握りしめ、出社し会社へ報告しました。休職の期間や今後復帰した際の業務はどうするか等を話しました。
ただ当時は既に満身創痍だったため、あまり記憶がありません(笑)
正直色々と怒られるのかなと心配していましたが全くそんなことはなく30分くらいで終わりすぐに帰宅することになりました。
休職期間~退職まで
最初の休職期間は2週間程度でした。本音を言えば1か月は休みたかったのですが・・・
2週間の記憶はほとんどありません。ずっと布団にいた記憶しかありません。
2週間後、再び病院で症状の度合いをお伝えし今度は1.5か月程度の休職をすることとなりました。
心が元気であれば嬉しいお休みですが適応障害の状態だと喜ぶ気力もありませんでしたが一安心はしました。
しばらくは、会社に行かなくて良いんだ・・・と
休職期間中は何をしていたか
①初めは何もしなかった(できなかった)
全く全然これっぽちも何にもできませんでした。まず布団から出られないどころか起き上がれない。
自分の体じゃないみたいな感覚でした。2週間はこんな感じで食事やお風呂の記憶がありませんでした。
生きてはいたし髪もギトギトしていなかったのでいつの間にか済ませてたみたいです。習慣ってすごい(笑)
②好きなこと「だけ」やって過ごす
そんな状態からしばらくすると、少しずつ動けるようになりました。
近所のスーパーへ行き食べたいものだけを買い、そして食べる!その後ゲームをするという生活リズムでした。
まさに好きなことだけで生きてました。
そんな日々を繰り返していると日に日に少しずつ心が軽くなっていく感覚がありました。
③外に出て散歩する
少しずつ元気を取り戻した私は、近所のスーパー以外でも外に出てみようかなという気持ちになり、
夜人が少ない大通りを10~15分程度の散歩をし始めました。
夜風がとても気持ち良く普段なら気にも留めないような木や草、道の端々を眺めながら歩き、散歩を満喫していました。
④実家へ帰省
まだ人に会う恐怖心は残っていましたが急に家族の顔が見たくなり、実家に連絡し帰省しました。
父も母も私を責めることなく快く迎え入れてくれました。実家には3週間くらいはいた気がします。
大学進学をきっかけに家を出て一人暮らしをしてからは家族とは年に数回会う程度でしたので久しぶりに長い期間家族との時間ができました。
なんだか子供時代に戻ったようで、とてもリラックスできました。
退職&社会復帰直後の生活
休職期間を経て私は、会社を退職することに決めました。
退職日について話し、ささっと帰宅するつもりでしたが何人かに話しかけられました。
まだまだ精神的に余裕がなかったので、かなり頑張って作り笑顔で最後の挨拶を終えました。
次の働き先は決まっていたので、復帰直後はついでに住所も変えて心機一転し再スタートしました。その話はまた今度。
現在
その後もまた何度か転職し今に至ります。今は派遣社員として働いています。
私の場合は正社員よりも派遣社員の働き方の方が向いている気がしてます。
フリーランス等の働き方にも興味はありますが、会社員以外の働き方で生きるためには個人的に課題が山積みなので、少しずつクリアしていきながら頑張っていきたいと思います。
まとめ
今回は私の適応障害の経験談というテーマでお話させて頂きました。
この記事を見てくれている皆さんの中にも、私と似たような経験や症状がある方もいるかと思います。
そんな時は絶対に無理をしないでください。
大切なのはあなたが無意識に発している危険信号にあなた自身が気づいてあげることです。
気づいた上で病院に行く・会社を休む・信頼できる人(家族や友人など)に相談するなど行動してください!
会社は星の数ほどあるのです!自身を犠牲にしてまで尽くす必要はありません。そのエネルギーをあなた自身やあなたの大切な人に尽くしてあげてくださいね。
コメント
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